心の関与なしに世界は成立しえないということの一考察

 あなたは一時的に地球上に探索に来ている小型探査船の乗組員でしかないから、本来何があっても深刻に考える必要はない。

 あなたは地上でいろんなパターンの感情のデータを取っているだけなのだ。


 ただ、できるだけ母船との連絡を密にして、魂のエネルギー補給を怠らないようにしなくてはならない。

 地球上の活動に必要な肉体的エネルギーは食品から変換できるようになっているが、魂のエネルギーは母船からしか得られないからだ。


 近頃は完全に母船との連絡を絶ってしまって、「地球人」と化してしまっている者が多い。

 彼らは地球上での生活がすべてだと思い込んでいて、外界のパターンを作っているのが自分の思考と感情なのだということをすっかり忘れてしまい、外界の状況にふりまわされてしまっている。



 「現在の状況」は過去(のあなたの判断・行動)が産み出した結果である。

 
 「現在の状況」は未来を決定するものではない。


 未来は、現在(のあなたの判断・行動)が決定する。



 もし「現在の状況」が好ましいものでないなら、「現在の状況」が「現在のあなたの判断・行動」に影響を与えないようにしないといけない。

 この二つを切り分けることが、地球人化した者には難しいのだ。


 例題に出されるのが、貧しい現在の状況の中で、豊かな自分を感じるというレッスンだ。 


  
 外界というものはない。別の言葉で言い換えるなら外界は「幻想にしかすぎない」

 あなたが外界について認識したとおりに、外界は存在するのだ。

 貧しいと思えば貧しい外界が現れる。

 豊かだと思えば豊かな外界が現れる。


 だからまず「豊かだと思ってしまえ。そうすれば豊かになるから」とマスターは言うのだ。


 理論はわかると地球人も言う。

 「だがやっかないなのは感情にも慣性の法則は働いて、急には変えられない」と。


 だが現状を変えたいなら変えなくてはならないのだ。


 まずTo Doリストを作って、重大なこともそうでないことも全部する。

 とにかく行動する。

 心理は行動することによってリフレッシュされるように設計されているからだ。


 そうしてリフレッシュされた心で未来を想像する。

 現在の状況を変えるあらゆる手だてを考える。

 そして、それを実行する。


 成功するかどうかは考えない。

 確率は2分の1ではない。

 100%成功しなくてはならないからだ。


 でもそうならなければ?


 燃えさかる火の輪にひっかかってしまったら?




 しかたない。万有引力の法則によって地上に転ぶだろう。

 
 落ちたらまたそこで座して想像しなおすしかない。


 とにかく、地上での滞在時間が尽きるまではやり直しができる。

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節分・恵方巻き

 近頃では関東地方でも恵方巻きを食べるようになったらしく、スーパーやコンビニでも予約を取っていた。

 私はクリスマスケーキ同様、当日でもあるだろうとたかをくくって予約せずにいたのだが、案に相違して夕方買いに行くともう売っていなかった。

 ないとなればどうしても欲しくなり、駅前の寿司屋に入って、「恵方巻きで食べるための巻き寿司を2本作ってもらえるか」と尋ねた。

 そこは店主の板前と奥さんらしき手伝いの女性としかいない店なのだが、奥さんはあからさまにバカにしたような表情になり、「うちの店で巻き寿司?」と言いたげだった。

 店主はさすがにそんな顔はしなかったが、何も言わなければ太巻きを巻きそうだったので、「恵方巻きで食べるので、太巻きより細めにしてください」と言わなければならなかった。

 はっきり言っておくが、そんなたいそうな店ではない。駅前にぽつんと一軒ある小さな寿司屋だ。

 寿司屋のくせに今日が何の日かもぴんと来ていないようで、「海苔巻きですって?」というあの顔! 関西人の私には信じられない。

 関西では節分は寿司屋はたいへんな騒ぎだ。

 恵方巻きの風習自体が私が高校生くらいに突如として始まったものだから歴史はないが、バレンタインデーのお菓子屋さんがごとき繁盛の日であって、のぼりも立っているし、まさに海苔巻きデーであって、普段握りを食べている常連客でさえ、その日は海苔巻きを買って、店で食べるのは遠慮する。(職人さんたちが海苔巻きを作るのに大忙しだからだ)

 だいだい、恵方巻きをスーパーやコンビニで買ったりはしない。たいていなじみの寿司屋があり、そこに注文しておくのだ。

 だから今回の、近所の寿司屋の態度には驚いた。

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死ぬ気でやる

 私のマイミクさんの言葉で、「死ぬ気でやれよ。死なないから」というのがある。

 彼は有名な英語教師みたいなんだけど、フランス語のレッスンに行くたびに、彼の言葉が頭をよぎる。

 「私は死ぬ気でやってないよなあ」と。

 今日もネイティブの先生のレッスン日だった。

 ディクテ(フランス語を聴いてそれをボードに書く)+その語からの連想される言葉を書いたり、否定疑問文にして答えを書いたり、ゲームのようなことをしていた。

 たとえば先生がベージュというと、ベージュから生成、生成から麻、麻からナフキンというように連想されるものを書いていくわけだ。

 結構楽しくあっというまに時間が過ぎるし、代名詞はenだとか、その場で覚えることができるから、このレッスン方法はかなり気に入っているが、日本人の先生のときは文法中心だ。

 だから、基礎的な文法は先生に習う前に自分で頭に叩き込もうと思うのに、それがなかなかできない。

 だから「死ぬ気でやる」気概が必要なわけだ。

 2月17日までに死ぬ気で丸暗記する!!

 

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雪の夜に決意する自分の将来

 一度十二月にも雪が舞ったようだが、私にとっては初雪である。

 今夜半、雪は降り積もり、明日は5㎝くらいの積雪になるだろうと天気予報士が言っていた。

 もうすでに我が家のまわりの家々の屋根は真っ白である。

 さて、四十にして惑わずとは昔のこと。四捨五入したら五十才になるというこの年齢で、未だに私は何者か、何をしに生まれてきたのかと問うている。

 もう先が短いと思うようになってから、急に「人は自由に生きて良いのだ」と思いいたり、「私は自由に生きているだろうか?」と自問し、もう他人の思惑などは気にせずに、自由に生きようと思うに至った。

 さて、自由に、どう生きるかと言えば、人の役に立つ生き方をしたい。

 私は今、専門職と言われる仕事をしているが、これといって知識があったわけではなく、就職してから学んだことで、いっぱしの口をきいている。

 この職業でも少しは人の役に立っていると思うし、実際感謝されることも多いが、命とか人生にかかわるような事柄で、私は人の役に立ちたいと思う。

 以前カウンセラーをしていたとき、あまりに熱心に仕事をしすぎて燃え尽きてしまい退職した。今も、見知らぬ人と話すことが多い仕事なので、時々人と話すことに嫌気がさす。

 しかし、今現在の私の持ち得ている才能や知識で、人の役に立つ仕事と言えば、カウンセリングだろうと思う。

 カウンセリングなら重ねてきた年齢も邪魔にはならない。

 私が今働いているところには、時給分しか働かないと決めている無気力なパートタイマーがいる。

 私は自分が社会に役立つことによって、社会が私の値を決めると思っている。

 私がものすごく役に立つなら、社会は私により多く支払うだろう。

 私はお金をバカにしたりしないし、お金を嫌ったりもしない。

 私自身が裕福になることは、私が寄付する先の人たちにとっても喜ばしいことだ。

 だから私は、社会が私により多く支払うと言ってくれたときには素直にそれを受け取る。

 というよりも、たくさんの支払いを社会が私にしてくれるように、私は技術を磨き、専門知識を身につけて、おおいに社会の人々のために役立とうと思う。

 世界のどこに行こうとも人間がいるかぎり必要とされる職業が、カウンセラーだ。

 人の話を聴き、鏡のようにその人を照らす。

 外科医がメスで物理的に人の病を治すなら、カウンセラーは、対話することによってその人の心を癒す。

 体と心がそろって健康であってこそ人は健康なのだから、私の職業選択としては、カウンセリングすることによって人を癒すカウンセラーが適当なのではないかと思った。

 

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願いは自由

 友人が、ハイチに救援のために旅立った。

 彼にできて、私にできないのはなぜかと考えた。

 日本語しか扱えないという言葉の障壁があり、いつでもどこにでも旅立てる経済的自由がないからだ。

 ある場所に留まって毎日働かなければ利益を得られないという今の仕事の形態ではとても、彼のようには行動できない。

 本当は・・・と私は思う。

 彼のように、風のように、地球上のどこにでも行って、その場その場、その時々で必要なことができる人生を送りたいのじゃないのか?

 近頃ずっと、自由になりたいという声が心の中に聞こえている。

 今私を縛り付けている、色々な制約から解放されたいと願っている。

 それならば神に願え!

 世界の人と理解し合えるように、少なくとも英語とフランス語が操れるようになることを!

 一カ所に留まっていなくても利益を上げられる仕事に就けることを!

 

 

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感謝

 私は日々感謝してるかな?

 体調が良いことに感謝。

 夫、飼い犬、両親が健康であることに感謝。

 家があることに感謝。

 仕事があることに感謝。

 人間関係に恵まれていることに感謝。

 着る服があることに感謝。

 友達がいてくれることに感謝。

 安全な飲み水があることに感謝。

 食べ物に恵まれていることに感謝。

 たくさんの夢があることに感謝。

 素晴らしい地球と自然に感謝。

 愛が偏満していることに感謝。

 豊かに私を恵んでくださる神さまに感謝。

 

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直感を信じなさい

 昨日からある本を読んでいる。

 5年前くらいに買って、一時、よく読んでいたいわゆる啓蒙本だ。

 私も以前よく言っていたが「なぜそうしなければいけないのかがわからなくても、そうしたほうが良いという感じがしたときにはしたほうがいい」と。

 ここ数年間、忘れていたが、また初心に立ち戻って、宇宙と一緒に生きていこう。

 そうすればもっと私の人生は加速度的に変わって行くだろう。

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一人のティータイム

 夫が寝ていたので、一人で紅茶を入れてお茶することにしました。

 友人がクリスマスプレゼントにくれた LA BELLE EPOQUE のお紅茶と、アーモンドとバターたっぷりのオリジナルクッキー「ジンジャー」をいただきました。

 真紅の袋に入っていてあまりにも美しくて今日まで眺めていたものです(笑)

 こっそり食べていたのに犬が来て、夫も起きてきてしまいました。

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スティーヴィー・スミスの詩集を待ちながら

 23日付の朝日新聞で、スティーヴィー・スミスという女性詩人を知った。

 早速アマゾンで注文して、待っているところだ。

 「私は○○として生まれつきました」の○○のところに入る言葉がようやく見つかった、そんな晩冬の日曜日。

 ずっと見えなかった未来の私が、ビジョンとして見えるようになった。

 未来の私は毛染めをやめた自然の髪をショートカットにして、痩せていて、少し微笑んでいて、スラックスとセーターの上にベージュのトレンチコートを羽織っていて、少し寒い、海に近い場所に住んでいる。

 文房具は上等なものを使っているけれど、ほかにはあまり贅沢をする趣味もなくて、一日の大半を書き物ををするか本を読むかしていて、趣味は編み物。春夏は庭の花を題材に刺繍をしたりしている。

 夫を亡くしたあとは、食べることにも興味がなくて、朝は紅茶とトースト。夜はチーズとワインに、シンプルなスパゲッティを繰り返していて飽きない。

 時々年下のボーイフレンドが尋ねて来てくれるときだけ、少し生活が華やぐ。

 部屋に花を飾ったりして。

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早いもので1月8日

 新年を迎えてから、はや8日が過ぎようとしている。

 A5版のシステム手帳を愛用しているが、会社に勤務する日はほとんどが白いスペースのままでもったいない。

 せっかく新年が始まったのだから、もっと色々スケジュールを入れて、充実した毎日にしよう。

 行きたいところに行く。

 見たい映画は逃さない。

 もっと製作する!

 勉強もする。

 ダイエットもする。

 そしてなりたい私になる!

 フランス文学なんか読んじゃって、パリ在住の女のようになる。

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