ありのままにいる
誰もが、ありのままの自分を受け入れてもらいたいと思っているのです。
審判されないで。
「何かをしてくれるから好き」なのでもなく、「美しいから好き」なのでもなく、
欠けたところばかりの、情けない私を好きになって欲しいと願っているのです。
だからまず、自分自身のありのままを受け入れましょう。
そして目の前にいる人のありのままの存在を受け入れましょう。
悟り」とは、「~せねばならぬ」、「~でなければならぬ」という自縛から解かれた、
自由な心の境地を言うのだと、今朝通勤電車の中で思いつきました。
私は人から好かれるために、できるだけ良い人になろうとしてきました。
父の前では良い娘、祖父の前では良い孫。
先生の前では真面目な生徒。クラスの中では面白い人。
夫の前では良い妻。義理の父母の前では良い嫁。
会社では勤勉な社員。
好きな人の前ではめいっぱい魅力的な私であるよう努力してきました。
人に好かれるために、弱いところを見せないよう、情けないところを見せないようにしてきました。
でも、まわりを見渡せば、弱いから好かれている人がいます。
どうしようもなく情けない人だからこそ、ほうっておかれない人もいます。
人間の世界は理論通りには運ばない。
一筋縄ではいかないのです。
それに気付けば、おのずと肩に入った力も抜けようというものです。
正しくある必要なんてないのです。
良い子である必要なんてないのです。
失敗して醜態をさらしてもいいのです。
同じ過ちを何度もくりかえす愚かさを持っていてもいいのです。
正しくあろうとすると、裁かなくてはならなくなります。
他人を裁く鋭利な剣は自分の魂をもぶった切って、自分を殺してしまいます。
だから、ありのままでいいのです。
良いも悪いも、かっこいいも悪いも、みんな含んだまるごとの「私」として、「あなた」として存在すればいいのです。
まるごとの私から、まるごとのあなたへ挨拶を送ります。
あなたがどんなにいびつな形をしていたとしても、
私はあなたが大好きです・・・。
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